台湾省行政長官公署
表示
台湾省行政長官公署(たいわんしょうぎょうせいちょうかんこうしょ)は、第二次世界大戦後、中華民国が台湾を接収および統治するために設置した特別行政組織。1945年9月1日に正式に設立されたが、2年に満たないという短い期間のうちに廃止された。台湾省行政長官公署が台湾を統治したのはわずかな期間であったが、二二八事件という大きな事件を経験した。
成立
1943年に行われたカイロ会談で、連合国は戦争終結後に台湾を中華民国に帰属させることを決めた。1944年4月、重慶の中華民国政府は中央設計局によって「台湾調査委員会」を立ち上げ、陳儀に主任委員を任命した。この委員会は、当時日本の統治下にあった台湾の経済、政治、民生、軍事など各方面について詳細な調査を行った。
戦後、重慶の国民政府は台湾をどのように接収管理するかで意見が分かれた。一方は、その他の「淪陥区」と同様に「台湾省」を設立することを建議した。もう一方は、台湾に軍や警察など特別な公権力を設置する「特別行政区」を設立するよう主張した。最終的には、当時の指導者であった蒋介石が陳儀の「台湾接管計画綱要」の意見を受け入れ、台湾省行政長官公署を設立した。これによって、台湾の接収はこの公署が責任を持つこととなり、その人員は当初2,000人と定められた。
沿革
- 1945年
- 1946年
- 2月20日:行政長官公署は元の台湾総督府と軍事引継ぎを終える。
- 1947年
- 2月28日:台湾全島で動乱が発生。後に二二八事件と呼ばれる。
- 4月22日:行政院は、台湾省行政長官公署を廃止し台湾省政府に改組することを決定する。
- 5月16日:台湾省行政長官公署が廃止され台湾省政府が成立する。初代の省政府主席は魏道明。
組織
台湾省行政長官公署は一種の臨時的な組織で、台湾接収時における権限を一元化し、接収を滞りなく行うことを目的としていた。(台湾年鑑民国35年巻)このため、その組織はもともとあった台湾総督府の官公庁の組織を受け継いだ部分が非常に多かった。行政長官のほかに、民政処、教育処、会計処、工鉱処、農林処、交通処、台湾省専売局、台湾省法院などの関係組織が設けられていた。