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「朝鮮民主主義人民共和国英雄」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[朝鮮戦争]]勃発直後の[[1950年]][[6月30日]]、[[最高人民会議]]において制定された。北朝鮮[[国家主席]]である[[金日成]]は、朝鮮戦争の休戦協定が締結された翌日の[[1953年]][[7月28日]]を始めとして生涯で3度この勲章を受章しており、'''三重英雄'''と称される。また、同国[[総書記]]である[[金正日]]も、自身の40回目の誕生日である[[1982年]][[2月16日]]を含め生涯で3度受章したため、金日成と同じように三重英雄と称される。
[[朝鮮戦争]]勃発直後の[[1950年]][[6月30日]]、[[最高人民会議]]において制定された。北朝鮮[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家主席]]である[[金日成]]は、朝鮮戦争の休戦協定が締結された翌日の[[1953年]][[7月28日]]を始めとして生涯で3度この勲章を受章しており、'''三重英雄'''と称される。また、同国[[総書記]]である[[金正日]]も、自身の40回目の誕生日である[[1982年]][[2月16日]]を含め生涯で3度受章したため、金日成と同じように三重英雄と称される。


初期は[[朝鮮人民軍]]中将の[[姜健]]など朝鮮戦争で戦死した者へ限られ贈られていたが、次第に対象が広がり、[[金策]]や[[金容淳]]へは死後追贈、[[白鶴林]]は同称号を二度贈られた二重英雄となった。また、朝鮮戦争で中朝連合軍を指揮した[[彭徳懐]]や[[ユーゴスラビア]]大統領[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]<ref>Bilo je časno živjeti s Titom. RO Mladost, RO Prosvjeta, Zagreb, February 1981. (pg. 102)</ref>などの外国人に贈られた例もある。
初期は[[朝鮮人民軍]]中将の[[姜健]]など朝鮮戦争で戦死した者へ限られ贈られていたが、次第に対象が広がり、[[金策]]や[[金容淳]]へは死後追贈、[[白鶴林]]は同称号を二度贈られた二重英雄となった。また、朝鮮戦争で中朝連合軍を指揮した[[彭徳懐]]や[[ユーゴスラビア]]大統領[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]<ref>Bilo je časno živjeti s Titom. RO Mladost, RO Prosvjeta, Zagreb, February 1981. (pg. 102)</ref>などの外国人に贈られた例もある。

2023年6月12日 (月) 09:04時点における最新版

朝鮮民主主義人民共和国英雄
朝鮮民主主義人民共和国による賞
種別勲章
状態運用中
歴史・統計
創設1950年6月30日
序列
上位なし
下位朝鮮民主主義人民共和国労力英雄

朝鮮民主主義人民共和国英雄(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくえいゆう、朝鮮語: 조선민주주의인민공화국영웅)は、朝鮮民主主義人民共和国における最高位の称号である。主に国家安保に寄与し、社会主義体制の発展に貢献した者へ授与される。通例、授与の際には勲章とともに感状国旗勲章も贈られる。略称は共和国英雄공화국영웅)。

概要[編集]

朝鮮戦争勃発直後の1950年6月30日最高人民会議において制定された。北朝鮮国家主席である金日成は、朝鮮戦争の休戦協定が締結された翌日の1953年7月28日を始めとして生涯で3度この勲章を受章しており、三重英雄と称される。また、同国総書記である金正日も、自身の40回目の誕生日である1982年2月16日を含め生涯で3度受章したため、金日成と同じように三重英雄と称される。

初期は朝鮮人民軍中将の姜健など朝鮮戦争で戦死した者へ限られ贈られていたが、次第に対象が広がり、金策金容淳へは死後追贈、白鶴林は同称号を二度贈られた二重英雄となった。また、朝鮮戦争で中朝連合軍を指揮した彭徳懐ユーゴスラビア大統領ヨシップ・ブロズ・チトー[1]などの外国人に贈られた例もある。

おもな受賞者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Bilo je časno živjeti s Titom. RO Mladost, RO Prosvjeta, Zagreb, February 1981. (pg. 102)

参考文献[編集]