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「中国とラオスの関係」の版間の差分

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==概要==
==概要==
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中国国営の通信社である[[中国新聞社|中国新聞社 (中華人民共和国)]]は、両国関係を「(二国間の国境が陸続きで接していることから)山と水が連なるような良き隣人関係」<ref name="Vlad">{{cite news|title=中国同老挝的关系|url=http://www.chinanews.com/gj/zlk/2014/01-15/177_2.shtml|newspaper=中国新闻网}}</ref>でなければならないと述べ、また、[[中華人民共和国国務院]]直属の[[新華社]]もラオス政府が[[一つの中国]]を支持することは、両国関係を「伝統的かつ深い間柄の友人関係」を築くことであると述べている<ref group="注"> 国務院直属機関のため中華人民共和国政府の見解とみなす。</ref>。


==歴史==
==歴史==
中国とラオスは1961年4月25日に国交を樹立した。 [[1979年]]に[[中国共産党]]との関係を一時期断絶するものの、[[1989年]]の[[カイソーン・ポムウィハーン]][[ラオス人民民主共和国首相]]の中国公式訪問と[[1990年]]の[[李鵬]][[首相|国務院総理]]のラオス公式訪問で、二国間の関係は改善した。中国の最高指導者として[[2000年]]11月、[[江沢民]][[国家主席]]が初めてラオスを訪問した<ref name="xinhuanet_ziliao"/>。
中国とラオスは1961年4月25日に国交を樹立した。 [[1979年]]に[[中国共産党]]との関係を一時期断絶するものの、[[1989年]]の[[カイソーン・ポムウィハーン]][[ラオス人民民主共和国首相]]の中国公式訪問と[[1990年]]の[[李鵬]][[国務院総理|首相]]のラオス公式訪問で、二国間の関係は改善した。中国の最高指導者として[[2000年]]11月、[[江沢民]][[国家主席]]が初めてラオスを訪問した<ref name="xinhuanet_ziliao"/>。


==政治==
==政治==
中国とラオスともに、[[一党独裁体制]]を維持している。1989年のカイソーン首相の中国公式訪問、1990年の李鵬首相のラオス公式訪問による両国関係の改善により、1990年以降二国間の関係は強化されていく。[[2004年]]4月には[[温家宝]][[国務院総理]]がラオスを訪問した。[[2006年]]6月には就任したばかりの[[チュンマリー・サイニャソーン]][[ラオス人民民主共和国主席]]が国賓として中国を訪問した。その後も、温家宝首相が[[2008年]]、[[2012年]]とラオスを公式訪問し、チュンマリー・サイニャソーンも[[2009年]]、[[2011年]]、[[2013年]]と中国を訪問し、また、[[2010年]]には[[ブアソーン・ブッパーヴァン]][[ラオス人民民主共和国首相]]がラオスを公式訪問するなど、2000年以降の両国最高指導者の交流は活発である<ref name="xinhuanet_ziliao"/>。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2015年9月27日 (日) 12:39時点における版

中国とラオスの関係
ChinaとLaosの位置を示した地図

中華人民共和国

ラオス

中国とラオスの関係中国語: 中老關係)では、中華人民共和国ラオス人民民主共和国との関係について記述する。1961年に両国間は正式に国交を樹立した[1]

概要

中国とラオスの国境は雲南省の南、ラオスの北に約400キロメートルの陸続きで接していて[2]、ボーテン(ラオス)とボハン(中国)は、両国における主な出入国可能な町はである[3]。鉄道においては昆明から雲南省最南端の都市である磨憨を経由してラオスの国境に入る全長約600kmになる汎アジア鉄道中央線が2015年末までに着工する見通しを立てている[4]。 中国国営の通信社である中国新聞社 (中華人民共和国)は、両国関係を「(二国間の国境が陸続きで接していることから)山と水が連なるような良き隣人関係」[5]でなければならないと述べ、また、中華人民共和国国務院直属の新華社もラオス政府が一つの中国を支持することは、両国関係を「伝統的かつ深い間柄の友人関係」を築くことであると述べている[注 1]

歴史

中国とラオスは1961年4月25日に国交を樹立した。 1979年中国共産党との関係を一時期断絶するものの、1989年カイソーン・ポムウィハーンラオス人民民主共和国首相の中国公式訪問と1990年李鵬首相のラオス公式訪問で、二国間の関係は改善した。中国の最高指導者として2000年11月、江沢民国家主席が初めてラオスを訪問した[1]

政治

中国とラオスともに、一党独裁体制を維持している。1989年のカイソーン首相の中国公式訪問、1990年の李鵬首相のラオス公式訪問による両国関係の改善により、1990年以降二国間の関係は強化されていく。2004年4月には温家宝国務院総理がラオスを訪問した。2006年6月には就任したばかりのチュンマリー・サイニャソーンラオス人民民主共和国主席が国賓として中国を訪問した。その後も、温家宝首相が2008年2012年とラオスを公式訪問し、チュンマリー・サイニャソーンも2009年2011年2013年と中国を訪問し、また、2010年にはブアソーン・ブッパーヴァン首相がラオスを公式訪問するなど、2000年以降の両国最高指導者の交流は活発である[1]

脚注

注釈

  1. ^ 国務院直属機関のため中華人民共和国政府の見解とみなす。

出典

  1. ^ a b c 老挝概况”. 新华网(中国語). 2015年9月27日閲覧。
  2. ^ ラオスの行政 第1章 ラオス概観 1地理・自然”. 総務省大臣官房企画課. 2015年9月27日閲覧。
  3. ^ ラオス政府観光局 VISA・出入国情報”. ラオス政府観光局. 2015年9月27日閲覧。
  4. ^ 中国とタイの「鉄道建設協力」プロジェクト始動は秒読み段階 香港メディア”. サーチナ (2015年9月24日). 2015年9月27日閲覧。
  5. ^ “中国同老挝的关系”. 中国新闻网. http://www.chinanews.com/gj/zlk/2014/01-15/177_2.shtml 

外部リンク